草 露



 薄暗い室内にひとり坐した男の耳に、遠く馬のいななきが届いた。
 男はゆるりと立ち上がると、傍らにあった長刀を無造作に腰に差す。
 飾り気はないが優美な白木のこしらえの刀は、あつらえたもののように長身の男の一部と化した。
 粗衣に身を包んだ男はまだ青年の盛りといったところで、眉目に漂う優雅な気品をどこか物憂げな蔭に染めていた。
 男の名は 由比 太郎兵衛 永正(ゆい たろうひょうえ ながまさ)。
 武門の出身であった。
 
 甲冑のこすれあう音が激しい足音に掻き消されながら、兵衛のもとへ近づいてくる。
「兵衛様‥ 賊が‥」
 薄汚れた中年の男が兵衛に告げた。
「思ったより早いお出ましだな‥。で、娘は‥?」
 鎧を身につけながら兵衛が問う。
「いえ、賊だけです‥」
「ちっ‥。捕らえて吐かせるか‥」
 崩れそうな屋敷の廊下を足早に進みながら、兵衛は声を強めた。
「佐和(さわ)、一原(かずはら)、良いな‥。出来うる限り殺すな‥。十和田(とわだ)もだ‥」
 その時、兵衛の進む先に、屈強な供を背後に従えた小柄な男が現れた。兵衛がそれと認めると、恭しげに頭を下げる。
 ーー 嫌な奴が来た。
 兵衛はわずかに顔をそむけた。
 男はこの稜(りょう)国でも指折りの商家の主人である。
 遠方の異国とも商いをしているという話しを裏付けるように、健康そうな日に焼けた赤ら顔をしている。
「これは‥ 雅南(まさな)殿。このようなむさ苦しき所へ‥」
 感情を表さぬ声で迎える兵衛。
「ほっほ、構いませぬ。由比殿ほどの出自の御方が私などの為に尽力下さるのです‥」
 ーー 落ちぶれたと言いたいか‥。
 兵衛は冷えた目をした。

 巨大な隣国である央国が突如、この稜国に攻め入って来たのは7年前のことであった。
 小国ではあるが、峻険な山々が天然の要害となっているこの稜国が、初めて受けた異国よりの侵略であった。
 武門の名門であった兵衛の一族は、先陣を切って迎え撃ったが、守るべきはずの主君の裏切りに遭い、その多くが命を失った。
 央国の巨大さに畏れを抱いた先君は、弱腰のまま幼い新君に位を譲り、央国に隷属を誓ったのだった。
 独自の文化を守り続けていたこの山あいの小国は、結局、国内に巣くう売国奴達の手によって滅ぼされたと言える。
 兵衛が雅南を嫌うのは、このしたたかな商人から、その売国奴達と同様の匂いを感じるからであろう。
 そして、その後‥ 兵衛はわずかに残った郎党を引きつれて、野に潜み、わずかな金品と引き替えに傭兵まがいの仕事を引き受け、露命を繋ぐこととなった。
 野武士の頭目と言っても、野盗と変わるところがあろうか‥ 兵衛は己の境遇に笑った。

「それにしても兵衛殿。殺すな などとは甘いことを‥。所詮は野盗、滅ぼして益はあっても損なうことはありますまい。出来うる限り奴らを殲滅し、連れ去られた客人のみ取り返していただきたいのです」
 雅南がなじるように請う。
「だが、義賊だと聞いた‥」
 取り合う様子のない兵衛に、雅南は一段、声を低めて言った。
「どこでそのような痴れ言を‥。あやつらには幾度、貴重な荷を奪われたことか‥。何より、奴らの首領は妖魅の術を使うともっぱらの噂。先の戦でも、強き武将の寝所に忍び入り、惑わせ取り入りることで生き伸びてきたのだそうですぞ‥」
「ほう‥。雅南殿は儂が惑わされるとでも‥」
「いえ‥。しかし、十和田殿のこともございます‥」
 ーー 賢しらに!
 兵衛ははらわたに煮えたぎるものを感じた。
 十和田は兵衛の腹心中の腹心と言っても構わなかった。 無骨で無口なその男が賊の手に落ちたのは3日前。
 もはや、亡き者と諦めていた矢先、斥候が目にしたのは賊と行動を共にする十和田の姿だった。
 信じがたいことであったが、斥候の言葉を疑うわけにもいかない。
 となると、十和田に何らかの思惑があると考えた方が正しいに違いない。
 だが、言葉を偽ることを嫌う十和田が、諜報の為に敵地に留まるとも思えない。ましてや、商人の言葉のように見かけの美しさを操る者に惑わされる男ではない。そこがわからなかった。
「しかし、貴方様ほどの腕あらば、仕官の口はありましょうものを‥。何なれば私が‥」
 商人は兵衛の機嫌を損じたのを察したのか、話を変えた。
「そちに払う金はないよ‥」
 当然仲介の為の手間賃が必要となる。兵衛はあくまで素っ気ない。
「いえ、そちらは兵衛様が顕職にお付きになった暁に‥」
「ふ‥ 反逆者の子弟に口などあるものか‥」
 ーー それに、どうして我らを捨てた君のもと働けようか‥
「央国ではわが国の刀が飛ぶように売れております。そしてその刀を神業の如く扱う者なれば、諸侯争いて得ようといたしましょう‥」
「央国に出よと申すか‥」
 雅南の意外な申し出に、兵衛はしばし沈黙を重ねた。
 すでに居場所のないこの国。
 今更、乱を起こし、やっと人並みの暮らしを始めた民草を苦しめたいとは思わない。
 さすれば、雅南の言うように、未だ諸侯が覇権を争い続けている央国で使えるべき君を見出すのも面白い‥。
 第一、この国の者は”央国”とひとくくりで呼ぶが、内情は群雄が割拠する様々な国の総称。
 この稜国を攻めたのも、山嶺の麓に位置する剪(せん)国という小諸侯に過ぎない。
「考えておこう‥」
 兵衛は、穏やかな風貌を取り繕う商人に一瞥もくれず、ただ言葉のみを残して立ち去った。


      *


「やっと逢えたか‥」
 兵衛は崖の上から、20人ほどの野盗の軍容を見た。
 小規模の小競り合いを起こしては、素早く引き上げる野盗達。尻尾を掴むのも容易ではない。
 遂に、雅南がしびれを切らし、おとりの積み荷まで用意したという訳である。
 ーー 張り込んだものだな‥。
 眼下で野盗との戦いを繰り広げている傭兵達を眺める兵衛。
 金に物を言わせ、雅南がかき集めてきた寄せ集め達である。もちろん、自分もそれに含まれるのだが、雅南の幅広い商いを裏付けるように、見たことのない鎧をつけた数名の異国人もいた。

 ーー それにしてもよく戦う‥。
 傭兵達の数は野盗に倍するであろう。しかし、野盗に臆する様子はなく、かえって傭兵達を翻弄しているようにも見えた。
 ーー あれが御影(みかげ)か‥
 野盗達のなか、ひときわ小柄な影が縦横無尽に跳ねている。
 ーー まだ小娘ではないか‥
 噂から想像した”御影”という名の野盗の頭は、もっと妖しげな美女のように思えた。
 ーー 情けない‥。このままでは自軍が危ういわ‥。
 野盗達に蹴散らされはじめた傭兵達を見て、兵衛が鬨(とき)の声を上げた。
 歩兵が主である崖下の傭兵達と違い、総勢12名の兵衛の手勢は皆、騎馬武者である‥。
 それらが一斉に崖を駆け下り、混戦の直中に雪崩れ込んだ。
 同時に形勢が逆転する。
 しかし、野盗達は不利と見て取ると、すぐさま近くの林の中に逃げ込んだ。ここでは、かえって騎上が仇となる。
 ーー 忍びの者か‥。
 野盗達の身のこなしを見て、兵衛が察する。
「悪いが‥ 逃がすわけにはいかぬ‥」
 兵衛がまっすぐに駆け下りた先に、御影がいた。
「連れ去りし娘を返せ‥。さすれば命までは取らん‥!」
 響く声で兵衛が叫ぶ。
「何言ってんのさ、あの娘はあたしらが守る! 一度そう決めたんだから、死んだって渡さない!」
 周囲の喧噪に負けぬ声で言い返す少女。
 幼さの残る眼差しに湛えた、まっすぐな強い光‥。
 兵衛は少なからず戸惑いながら、刀を交えた。
 ーー 子供ではないか‥
 すでに15の歳になる少女にとっては、はなはだ無礼な見解であったが、それほどに少女は華奢に見えた。
 傷つけることを躊躇うため、うかつに斬りつけるわけにもいかぬ兵衛。
 下馬すると、軽く打ち込んで土手へと追い詰める。
「御影殿‥。降参してはくれまいか‥」
「いやだね‥」
 声は背後から聞こえた。
「お頭(かしら)っ!」
 少女が歓声を上げる。
 とっさに横に跳びすさり、刀を構え直す兵衛。
「雫(しずく)! あっちで見物してな!」
 抜き身の刀を肩に担いだ男が、不敵に笑い、雫と呼ばれた少女を逃がした。
 歳は兵衛とさして変わらぬか、わずかに上といったところであろう。野盗とは思えぬ、穏やかな風情の男である。
 こういう男となら酒を酌み交わしてもよい‥。そう思えるような、そこはかと通うものを、兵衛は目の前の男から感じた。
「ぬしが‥ 御影殿か‥」
「そうだ‥。雫を傷つけないでくれて、ありがとよ‥。 礼を言っとく‥」
 緩やかに刀を構える御影。
 とたん、兵衛の放った一閃が御影を襲った。
 御影の振るう銘無しの刀と違い、兵衛の使う長刀は業物である。長さもさることながら、何より、重い‥。
 それを兵衛は軽々と振るい、御影を追い詰める。
 ーー おいおいおい‥ 速えぞ‥。
 ぼやきながらも、恐ろしい速さで眼前に迫ってくる突きの連打をかろうじてかわす御影。
 こりゃあ、とんでもねえ‥ という様に、眉をしかめると、初めて真剣な面持ちで兵衛の呼吸を読み始めた。
 長引かせるほど不利になる‥。
 刀身の重みが一撃の破壊力を増加させている。
 御影は刃こぼれの激しい剣先を眺めた。先日、敵方の兵から失敬したばかりなのだが、すでに限界に近い。
 ーー 不本意ながら‥
 怒濤のような兵衛の突きが一瞬止んだその時、御影の身体は兵衛の懐に入り込んでいた。
 ーー 逃げるかね‥。
 そして、そのまま兵衛の腹に峰打ちをくらわせると、ひるんだ兵衛の関節をとった。
 御影はわずかに肩口を斬られながらも、兵衛を後ろから羽交い締めに捕らえ、唐突に、高く鋭く口笛を鳴らした。そして、動けない兵衛の耳元に、
「ついてこい‥」
 と、低く囁く。
 次の瞬間、野盗達が一斉に高く跳び、林の奥や土手へ、宙を舞うように姿を消した。
 御影は一人、すぐ背後の、皆とは反対側の土手へと駆け上がる。
 つられるように一緒に跳んでしまった兵衛は、前方の森に向かって駆けていく御影の後を追った。
 そして、少し離れてその様子を見ていた雫は、御影と揉み合ううちに落としたらしい兵衛の白木の鞘(さや)を拾うと、すぐさま消えた仲間達の後を追った‥。

      *

 野盗達の神業の如き引き際を、しばし唖然として見送った兵衛の手勢達。
「頭はっ‥ 兵衛様は何処ぞっ!?」
 騎馬武者達は引き上げ始める傭兵達を見回す内、守るべき首領の姿がどこにも見あたらぬことに気づいた。
 ただ、兵衛の馬だけが戦場となった野の一角に残されている。
 野盗を追っているに違いない‥。
 そう断じると、決死の形相の騎馬武者達は、主の姿を求め、野盗の消えた林の裏手に回り込むように馬をとばした。
 その途上‥
 突如、騎馬隊の側面に一群の馬影が躍り出した。
「野盗かっ!!」
「失礼しちゃうわねえ‥。人を泥棒呼ばわりしないでよ。やってることは、あんた達と変わらないんだから!」
 不用意‥とも思える近さに、馬上の雫の姿があった。
 そして、その傍らに、大柄な身体を大柄な馬に乗せた無骨そうな男が付き従っている。
「十和田殿‥」
 騎馬武者達は息を呑んだように静まり返った‥。
「皆‥ 儂の話しを聞いてはくれまいか‥。兵衛殿ならば、こちらの頭目‥ 御影殿を追っていかれたそうだ。心配はござらぬ‥」
 十和田は男達の動揺を見透かすように、とつとつと語った。
 30騎以上に膨れ上がった野盗の軍に囲まれていながら、騎馬武者達が平静を保っていられたのは、ひとえに、この十和田の人気(じんき)によるものであろう。
 兵衛の副将ともいえる、この無口だが信頼の置ける男が野盗の側に寝返ったなどと信じる者は、この状況を前にしても誰一人いなかった。それほどに、この壮年の大男が”信”というものを奉じ続けていたといえる。
「ほら、皆も武器納めて! こっちが引いてあげなきゃ、人数多いんだし!」
 野盗の群を振り返るや号令をかける雫。そして、再び向き直ると、戸惑いの隠せない騎馬武者達と十和田とを見やる。
「面倒なことはお頭同士に任せようよ! あんた達も十和田殿と仲間割れしてても仕方ないでしょ? ってことで、私達とも休戦ってことでいいわね?」
 少女に歯切れ良く言いたいことを言われ、言い返すことも出来ずに男達は待ちぼうけることとなった。
「しかし、頭達が傷つけ合うようなことはなかろうか‥」
 野盗の陣に向かう途中、兵衛が未だ十和田と再会していないことを知った武者の一人が不安を口にした。
「大丈夫よ! うちのお頭って、今ひとつ何処が強いんだか分からないんだけど、負けたことないのよねぇ‥? あと、逃げるほうが得意だし‥」
 自慢げに言い切る雫に、武者達は微苦笑を浮かべ、野盗達は高く笑った。


      *

 
 ーー 何処へ行った‥。
 
 既に、日暮れが近い。
 御影の後を追い、森に飛び込んだ兵衛は、いつの間にか追うべき姿を見失い、気が付けば森を抜け出ていた。
 小川のほとりに辿り着くと、鎧と衣を脱ぎ去り、清水に身を浸す。
 ーー 血が昇ると、ろくなことはない‥。
 兵衛は、そこかしこに こびり付いた泥を洗い流す。
 御影に剣で軽くあしらわれ逆上していた所を、再び背後に現れた御影によって泥沼に突き落とされ、その間にまんまと逃げ去られた。
 ーー 救いようがない‥。
 兵衛は溜息を付いた。
 兵衛自身、御影を敵としていることの間違いに気付いている。十和田が戻らぬのも、それを意味しているのだろうが、何より、御影という男は告げることがあって自分を誘ったに違いない。
 それなのに、我を忘れて刀を振るうとは‥。
 とめどなく落ち込みながら、兵衛が水から上がろうとしたその時、木陰から のっそり‥ 疲れ切った表情の御影が現れた。
「悪いが、少しの間守ってくれぬかぁ‥」
 言うなり、兵衛の前にごろりと横になる。
 ーー 刺客は儂ではなかったか‥。
 唖然とし、言葉を失う兵衛。
 気が付くと、寝転んだ御影が、物珍しそうに自分を凝視している。不快げに見返す兵衛に、御影が首を傾げた。
「お前さんにゃ、異国の血が流れておるのか‥」
 兵衛は人並み以上に肌が白く、髪の色も瞳の色もどことなく淡い。
「祖母が夏蓉(かよう)国の出だ‥」
 と言った兵衛自身、その国については、稜国を中心としたときに央国と反対側に位置する国らしい‥ということしか知らない。
「そうか。それにしても寒いのぉ‥。火が欲しい。ん‥ ぬし、寒くはないのか? そのような格好のままで‥」
 小川のただ中で立ち尽くしている兵衛に、御影が気の毒そうにたずねた。
「ならば、貴殿の敷いているものを返してもらえぬか‥」
 兵衛が感情を殺した声で言う。
 御影は自分の下にある白く乾燥した泥まみれの衣に気付くと、
「これは、すまぬすまぬ‥」
 と、慌てて寝返りを打った。
 その御影の眼前、突き出すように、抜き身の長刀が光をたたえて転がっている。
「‥‥ 物騒よなぁ‥」
 御影は頭を掻いて立ち上がると、火をおこすための準備をはじめた。
 一方、素早く衣の泥を流した兵衛は、長刀に2匹の魚を刺し貫き、水から上がる。
 火に小枝をくべながら、唐突に話し始める御影。
「”たろべえ”さんよ‥。考えたことはないか? こんな山しかない狭い国で一生終わるなんてな、つまらないことだと‥」
「たろべえではない。”たろうひょうえ”だ‥」
 兵衛は、理想のみの大言壮語なら聞く気はない‥。
「細かい男だな‥。ま、いいさ、聞いてくれ‥。何だか解らんが、近々、この国も、央国も、更にもっと向こうの国々も巻き込んだ、どでかいことが起こるらしい。国と国とのぶつかり合いなんてな小せえことやってる場合じゃないそうな‥」
 ーー 何を言っている?
 兵衛は露骨に怪訝な目を御影にむけた。
「お前さんが狙っている御仁だがよ、ありゃ”守護者”だ‥」
 兵衛は一瞬、思考を失ったような表情(かお)をした。
「守護者? ”がーであん”ってやつか??」
「おう、それそれ、何だお前さん話しが早いな‥」
 上機嫌の御影に兵衛が猛然と噛みつく。
「ちょっと、待て! 謀(たばか)るのもいいかげんにしろ! そんなもの言い伝えにすぎん、本当に‥」
「会やぁわかるさ! ここんとこに光る石が填(はま)ってるんだよ。ま、どこでも好きなとこに出し入れ出来るそうだが‥」
 と、御影は左手の甲を、ぽん!と叩いた。
「額に填ってるんじゃなかったのか‥」
 兵衛はうわごとのように呟く。
 ”守護者”は‥ 真の王者たり得る者を補佐するために、神界から使わされる‥と昔語りに聞いたことがあった。
 また、天に選ばれ、特別な運命を歩む者の額には、しるしとして美しい石が現れる‥とも。
 兵衛の戸惑いを知ってか知らずか、御影は満足気に兵衛を覗き込む。
「本当に単純だな。もう信じてくれたのかい?」
「な! 貴殿!?」
「はは‥。本当さ。十和田殿は目にするまで信じてくれなかったがな‥」
 十和田の名を聞いて、急に兵衛の気色が変わった。
「おっと、先に言っとくが、十和田殿はお前さんを裏切ったりしちゃいないぜ!」
「そんなことは解っている!!」
「おいおい、どうしてそう短気なんだい、お前さんは‥」
 ーー こいつといると、調子が狂う‥。
 兵衛はうつむくと、深く呼吸を繰り返した。
「十和田殿も、何とかお前さんと話したいと言ってたが、のこのこ出てくわけにも行くまいからなぁ‥」
「何故だ‥」
 兵衛は問うた。一度敵方に囚われたとはいえ、自軍に逃げ戻ることに不都合はないはずである。
「何故って‥。お前さん、本気で言ってるのか? 怪しいと感づいたから付いてきたんじゃ‥」
 兵衛の瞳を見て、御影は溜息をついた。
「こりゃ‥。あきれたよ‥。よく今まで生き残ってたもんだ! いいかい? お前さんに、娘の話しを持ってきたあの商人。央国の回しもんだ。この国の大乱でも暗躍してたはずさ‥。実はここからがよく分からないんだが、あの商人、南域の砂漠地帯を越えて商売やってるようなんだがよ、守護者がこの国に足踏み入れるちいと前から、守護者を付け狙ってるらしいんだ」
「何のため?」
「さあ? 殺して秘石を奪うか、いっそ守護者ごと売っぱらっちまうか‥。それとも、もっと別の思惑があるのか‥。とにかく、守護者の存在を誰にも知らせず手に入れようって腹だな‥。それで執拗に俺達を消そうとするのさ。もちろんお前さん達も、用が済めばあの世行き‥。奴は、しっかり官軍にも取り入ってるみたいだしな。お前さんが反逆者の一族ってんなら話しは早いさ‥」
「守護者を害せし者は天罰下るというぞ‥」
 御影はしばし無言で兵衛を見つめると、ぶっと吹き出し、兵衛の背を叩いた。
「ははははは!‥‥お前さん。可愛いこと言うねえ!」
「な‥!」
 大真面目に迷信じみたことを言ってしまった自分に気付き、兵衛の顔が真っ赤に染まる。
「はぁ‥ おかげで何だか疲れたよ‥」
 呟くと、御影は倒れるように横になった。
「おい‥」
 兵衛が緊張気味に呼びかける。
 ぐったりした御影の顔から脂汗が流れ落ちている。
「この毒消しじゃあ効かねえか‥」
 御影は、ずっと口に含んでいたらしい木の皮のようなものを地に吐き捨てた。
「矢を受けたのか?」
 兵衛が衣の裂けた御影の腕を見る。
 たしか、商人の雇った傭兵達の中に毒矢を使うものがいた‥。
「ああ? 心配すんなよ。ちっと掠っただけだ、1日身体が痺れるくらいですむわな‥」
「おい! 御影‥ 殿?」
 御影は気を失ったらしい。
 兵衛は御影に触れた。凄まじい高熱である。
 ーー まずいな‥。
 強がりを言っていたが猛毒に違いない。
 兵衛は己が斬りつけた御影の肩口の傷を痛々しげに見つめた。



「すまぬ‥ 起こしたか‥」
 兵衛が濡らした布を手にして言った。
 額に冷たさを感じて目を開けた御影は、大丈夫だ‥と言うように目を細めた。そして、腕や肩に巻かれた布に気づくと、かすれる声で、
「やっぱり、お人好しの面だと思ったよ‥」
 と、笑った。
「な‥!?」
 赤面する兵衛に、
「助かった‥」
 と、言うと、御影は苦しげにまた目を閉じた。
 息づかいが荒い。熱もまだひいてはいない。
 しかし、御影は再び目を開けると、ゆっくり口を開く。
「‥本当‥ 敵に回さないでよかったよ‥。たまには、噂ってのも信じるもんだな‥」
「何のことだ?」
「今言ったろう。お人好しだって‥。十和田殿ににも言われたよ、お前さんとは戦わないでくれってな‥」
「十和田が‥」
「ああ‥。十和田殿はお前さんの雇い主を見限っただけさ‥。お前さんも、そうだろ?」
 御影と瞳があった兵衛が、ふん‥ と笑う。
「儂が聞いた貴殿の噂は大分違うな‥。‥‥おい?」
「聞いてる‥」
「風変わりってとこだけはあってるか‥」
 すぐ傍らで身を起こそうとする御影を見て、兵衛は、ふふ‥と微笑んだ。
「お、焼けたか‥」
 火に掛けた串刺しの魚を、兵衛が確かめるように手に取る。
「どうする‥。食えるか‥」
「いただくよ。うまそうだ‥」
 御影は竹筒の水を飲み干すと、串を手にした。
 が、まだ朦朧としているのは隠せない。
 串を握りしめたまま動かない御影に、せわしく兵衛がまくし立てる。
「あ〜何をしている。しっかり持て! 汁が垂れるぞ。 袴に付く‥」
「雫みたいな奴だな、お前さん‥」
 意外そうな顔をして、御影が魚にかぶりついた。
「雫‥?」
「うちの紅一点だよ。お袋みたいにうるさい。‥だが、いい子だ‥」
「ふーむ‥ 貴殿の女か?」
「ふ‥ 雫が気を悪くする。それに儂は‥人を愛せぬ身らしい‥」
 兵衛は言葉もなく御影を見つめた。
「どうした‥?」
 御影の問いに、兵衛が、いや‥と首を振る。
「噂か‥」
 御影はそう呟くと、
「噂は‥ 半分は当たりだ。相棒は‥儂のせいで死んだ。儂自身、あいつを相棒だと思ったことなどなかったのだがな‥」
 と、宙を見上げた。
「噂では何と‥? 想像はつくが‥」
 御影は不思議と優しい瞳で兵衛を見ていた。うながされるように兵衛は小さく答える。
「男を骨抜きにし、食い物にする術に長けていると‥。力持つ者の妻となることで今まで生き延びてきたと‥」
 そう言うと、兵衛は自嘲気味に笑った。
「だが、噂だったらしい‥」
 その兵衛の肩に、ふいに御影が寄り掛かった。
 兵衛が驚いたように御影を見つめる。
「妻‥か‥」
 呟くと、御影は喉の奥でくっく‥と笑った。うつむいたまま、兵衛に顔は見せない。
「たろべえ殿‥ 安心しな‥ 別にあんたを食ったりはしないよ‥」
「何を‥!」
「相棒は‥ 良い奴だったさ‥。度胸も統率力もあった。だが、一つの方向しか見ていられないような、そんな奴だった。 儂は‥ 奴に拾われたんだ。 剣の腕には自信があったし、一人でも生きていけると思っていた‥。だが、それだけだった‥。何一つ、向かうべき先を持っていなかった‥。 奴は自分の率いる軍に儂を入れてくれた。初めて出来た仲間だ。いろんな奴がいた。儂は嬉しかったよ‥」
 御影は低く、小さく、言葉を紡いだ。
「けど、そんな日も長くは続かなかった‥。奴は知ってしまったんだ。桐生(きりゅう)公と央国との密約を‥」
 桐生公と言えば、稜国の現宰相‥。
 ーー 売国奴の黒幕は奴か‥。
 兵衛は息を呑んだ。
「気が付けば、儂らは央国に通じた反逆者とされていた。折しも、央国が我が国を襲った直後さ‥。桐生公を敵として勝てるわけもない。しだいに儂らは追い詰められ、仲間さえ信じられなくなった‥。実際、桐生公の手下は入り込んでいたのだろうな‥。だが‥ 奴は立派だったよ。そんな仲間を最後まで信じようとしていた。守ろうとしてた‥。こんなことになったのは自分のせいだということを一番解っていた‥。そして、そんな奴が‥ 儂にだけ‥ 救いを求めていた。 初めは信じられなかったさ‥ まさか‥ 友が‥ 儂の身体を欲しいだなんて‥」
「御影殿‥ もう‥いいんだ‥ すまない‥」
 再び息の荒くなる御影の体を抱き留めるように支える兵衛。しかし、御影は溢れ出すものを止められぬように語り続ける。
「‥‥儂は恐ろしかった。仲間を失うのが。いや、死ぬのが‥。 それがどういうことなのか解らぬまま、儂は奴に身を任せた‥。 いいや‥違う‥ きっと儂は助かりたかったんだ、そうすることで、奴が儂を守ることを知っていた‥。 奴は儂を抱いた。 だが、不思議と‥ 儂は何も感じなかった‥」
 御影の囁きは、消え入りそうに儚くなった。
「そして‥ 奴は‥死んだよ。儂が望んだ通り、儂を守って‥。 奴はずっと儂に負い目を感じていた。 落ち延びる途中、沢へ足を滑らせた儂を助けて、自分が流れに呑み込まれた。目の前で流されていく奴を見て‥ 儂は何も出来なかった‥」
 兵衛の胸に向け、御影は吐くように言った。
「‥‥噂は‥本当だ‥ 儂はあいつの妻(もの)になった。 生き延びるために‥ 自分から‥」
 激しい熱のためか、それとも他の理由からか‥ 御影の肩が小刻みに震えていた‥。
 抱き留めていた腕をずらし、そっと御影の髪に触れる兵衛。
「同情なら、いらぬよ‥」
 今まで兵衛を見ようとしなかった御影の瞳が、ふいに光を取り戻したように兵衛を見据えた。
「そんなつもりはない‥」
 兵衛は御影の足元に転がった魚の串を拾い上げると、再び火に掛けた。
「眠れ‥。朝までなら、俺が見ていてやる‥」
 そのまま黙って空を見上げる兵衛。
 すでに意識を失ったのか、御影の頬が兵衛の胸に擦り寄せられ‥ 縋(すが)るように沈んだ。


      *


 濃厚な霧が、朝の森を満たしている‥。
 あちこちから響く男達のいびきをかき分けるように、雫は朝露に濡れる大地を踏みしめた。
 ーー 何かあったのかもしれない‥。
 静かに馬を引き出した雫は、陣を抜け、2人の頭を探しに行くつもりであった。
 雫の兵衛に対する印象は悪くはない。
 雫を野盗の首領と勘違いした素っ頓狂な所はさておき、御影の話しを受け入れる器量は十分に持ち合わせていると見て取った。
 それ故、雫は2人の帰りは早い‥と踏んでいたのだが、その読みが外れた。
 たったの一夜と割り切ることも可能だが、雫はあいにく、そういう性分ではない。
 それに、十和田やその仲間達も、いつまでも大人しく兵衛を待ち続けているとも思えない。また、大量の馬の足跡を傭兵達が追ってくることも考えられる。
 動くべき時‥の移ろいの速さを、雫は本能で理解していた。
 雫は兵衛の長刀の鞘を鞍(くら)ににくくりつけると、ひらりと愛馬にまたがった。そして、ゆるりと馬首をめぐらすや、大きな声を上げた。
「お頭ぁっ!!」
 霧の向こう、雫の声に気付いたように、御影が兵衛にもたれたまま、手をひらひらさせている。
 静謐な朝の空気が、たちまち ざわめきに破られた。

 御影と兵衛を囲むように駆け寄る2人の配下達。
 御影は、ふああ‥と大あくびをすると、人垣の一番外にいた異国の装束を着た娘を呼んだ。
 そして、いたずらな笑みで、こっそりおのれの額の辺りを指差す。
 凛々しく中性的な容貌のその娘は、心得たように自らの額に手を当てた。
 同時に、額の中央から金色の輝きが溢れ出す‥。
 驚きに見開かれる兵衛の瞳。
 ーー 秘石‥。本当に守護者なのか‥。
 立ちすくむ兵衛を、御影が、とん‥と前に押し出した。
「今日から守護者殿を守ってくれる助っ人だ‥。よろしくな‥」
「な! 聞いてないぞ!!」
 慌てる兵衛に、御影が満面の笑みを返す。
「そんなぁ‥ つれないねぇ‥ 一晩一緒に過ごした仲なのに‥」
「御影!!」
「お頭っ!!」
 兵衛と雫の声が同時に響きわたる。
「つーわけだ‥」
 御影は十和田の肩をたたくと、止めてある雫の馬にまたがった。そして白木の鞘を兵衛へ投げ渡し、
「馬を借りてくる! 5頭で足るな。三郎、條弥(じょうや)、行くぞ!」
 と、朗らかにうながした。
「借りてくるじゃなくて、盗ってくるでしょう? もう‥ 気をつけて下さいよ!」
 雫に笑み返す御影。
 ーー 無理をする奴だ‥。
 配下の前で弱音は吐かぬつもりらしい。兵衛は、やっと熱が引いたばかりの御影を案じつつ、やれやれ‥と刀納めた。
「頭‥」
 十和田をはじめ、兵衛に従う全員がそこにいる。
 これならば商人の元に引き返す必要もない。
 兵衛は穏やかに皆の顔を見渡すと、
「しばらく、頭はあいつだよ‥」
 と、去っていく御影を見送った。



「はーい、それじゃあ、みんな朝飯の支度ねー! お頭はいっぱい食うんだから、たーんと用意しとかなきゃね‥」
 雫が周り中に、元気良くはっぱをかけて回っている。
 ーー 確かにお袋だ‥。
 御影の呟きを思い出した兵衛に おかしみが込み上げる。
 ふと、視線を転じると、守護者が両脇に薪を抱えて小走っている。
 ついさっき、直接頭の中に響く声で丁寧に挨拶され、肝を抜かれたばかりである。
 ーー 昔語りではない‥ か。

 兵衛は涼やかな眼差しを空へと向けた‥。
 確かに一歩‥ おのれの中で、何かを踏み出したことを感じる。
 しかし、この出会いが‥
 その身にとどまらず、稜国‥あるいは央国にとっても、新たなる途を切り開く岐路となることなど、この時の兵衛に知る由もなかった‥。
 兵衛は朝もやを払い登りゆく太陽を、動き始めた己の未来に重ねるが如く、眩しげに見上げた。



                                    終
 


    あとがき              EXIT
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