☆ Lesson 2


 ご機嫌麗しくて? 皆様。
 クリスティンでございます。
 今日は、私が司会進行を務めさせていただきますわ。
 ところで、そろそろ人間界で生きていくのがお嫌になった方、実現できない望みにお悩みの貴方‥ 魂と引き替えに、私が手を貸して差し上げましてよ。
 詳しくは‥ 
 あら、いやだ、もう着いてしまいましたのね‥。
 仕方ありませんわ、営業はまた後ほど‥。


「クリス、クリス‥ 船はこのままでいいんですよね? 自動運航ですし、ほっといたら帰っていくんですよね?」
「そうよ、帰るときはボタンを押せって言われたでしょう。ちょっと、お待ちなさいなレオン! 荷物全部降ろしてからよ!!」
 あ"〜 頭痛い。私が指示しないと何にも出来ないんだから‥。
 あ、皆様。
 まる一日かかって、なんとか人間界に辿り着きましたわ。
 本来なら、瞬間移動で瞬きする間に行き来することが出来るんですけど、今回は坊ちゃまや大量の荷物の搬送もあるので、船を使って移動することになったんですの。
 今は時期的に次元の波が荒れていて、かなり遠回りの航路を取らなければならなかったんですけど、人間界と魔界は実際は薄い壁一枚で隔てられた世界‥ それくらいに近しい世界なんですのよ。
 ただ、いつの頃からか、魔界から人間界への移動は制限されるようになってしまって、今回のように船を使っての移動ばかりになってしまったんだそうですわ。
 人間界で私達を呼び出す者が少なくなったのと、悪魔自身の勉強不足が原因でしょうね。魔法陣を使えば、移動なんて一瞬ですのに! せっかくの魔術も衰退する一方ですわ、嘆かわしい。
 まあ、わたくしは方術系魔法は得意分野ですし、瞬間移動くらい当然マスターしておりますわよ。次元間の移動はまだ未経験ですけど、これから住むお屋敷には移動用の魔法陣も完備されてるようですし、近い内に体験することになりそうですわ。 


「う‥ 酔いそうですわ‥」
 やっと狭い船から解放されたと思いましたのに、このお屋敷の造りはいただけませんわ!
 天井は亜空間に繋がってグニャグニャ揺れているし、壁も透けたり現れたり不確定‥。見ていると目がぐるぐる回ってきて気分が悪くなりますわ。
 内装は好きにしていいみたいですし、早いとこ地球と同じ三次元に固定したいものですわね。家具やなんかはちょっと貴族趣味な古めかしい好い感じですもの。レオンに片付けさせて、早く住みやすい環境を整えなければ‥。
「あのー‥ クリス‥」
「何ですの、荷物は運び終わりましたの!? まだまだ仕事はあるんですのよ、チーフなんだからしっかりして‥‥」
 まったく‥。なんだってこんな頼りないのがチーフなんでしょう。いちいち、人の顔色うかがって。私、卑屈なのって、大嫌いなんですの! やっぱり、男性は優雅で、男らしくて、さっぱりしてて‥ そうあの方みたいでないと‥! ああ‥ 無事に勤めを終えましたら、クリスはきっと貴方のもとへ帰ります‥ フィレンツェラさまぁ〜。
「あのぉ〜‥ クリス?」
 は、恥ずかしいじゃないですの! 何、覗き込んでるのよ、この男は!  
「もう! 何ですのよ! 早く言いなさいよ!」
「坊ちゃまが‥ いないんですぅぅうう!!」
 ーー 何ですってーーーーーー!!
「もう! どうしてそれを早く言わないのよ!! 貴方の荷物の中は探したの?」
「はい〜 柳ごおりの中も、船の中も。坊ちゃまはまだ術のお勉強はされてないようですし、亜空間に飛び去ることはないと思うんです〜」
 そう言って天井を指差すと、へたりこむレオン。
「あーーーもう! それくらいで、悪魔が泣かないで!! 次元の隙間にハマってるってことはないの? そこら中にあるでしょ」
「この屋敷の次元が揺らいでるのは、好きなように部屋割り出来る状態にする為で、はまり込むような大きな次元のズレは生じないですよ〜。それに私達の力が人間界にもれないように、厳重にガードされてるんです‥。空間が変な干渉を受けることもないですし〜。ただ‥」
「ただ‥ 何?」
「玄関の鍵が開いてました〜〜」
「それを早く言うのよーーーーー!!」
 まったく、信じられませんわ!!
 レオンもですけど、それよりなにより、あのくそガキですわ!!
 ーー あら、くそ‥だなんて私としたことが‥。
 とにかく、人騒がせなのもいいかげんにしてほしいものですわ。まあ‥ 悪魔的資質としては見るところ大ですけれど‥。この私を巻き込むなんて‥!!
 まあその辺りは、これから私がた〜っぷり教育して差し上げるとして‥‥。
「ああ‥ ロマノフさん‥。どうです、やはり外に行かれたんでしょうか‥」
 ーー う”‥ 来たわね。
 レオンの呼び掛けに、ゆっくり肯くロマノフ。
 どうも、この男だけは苦手ですわ。どことなくレオン同様のトロくさい雰囲気を醸し出しているくせに、時折放つ威圧的なオーラ! そして、あの殺戮者のような眼光! 鋭いとかそういうレベルの代物ではありませんわ。直視しようものなら背筋が凍り付きますもの‥!
 大昔、神族の異端にゴルゴンとかいう、顔を見たものを石に変えてしまうはた迷惑な輩がいたそうですけど、それと同系列の出自かもしれませんわね。むかつきますけど、上級魔族の一員ってことだけは頷けますわ‥。
「クリス。やはり、坊ちゃまの匂いは玄関の方へ向かっているようです‥」
「匂い?」
「ええ、ロマノフさんが、坊ちゃまの匂いを探り出してくれたんです。坊ちゃまは、そこら中を歩き回った後、結局、外へ‥」
「ちょっと待って。なんで匂いなんてわかるのよ」
「ロマノフさんの特技だそうです。あと、目も耳も良いんですって」
 ーー 化け物‥?
 とにかく、いいですわ。どちらにしても人間界へ踏み出さなきゃならないようですわね。出来れば、もう少し準備を整えてからにしたかったんですけど‥。
 ああ‥ こころなしか緊張しますわ。
 この扉を開ければ人間界‥。
「早く、クリス! 行きますよーー!!」
 あら、いつになくレオンがリーダーっぽいですわ。悲壮な顔しちゃって、まあ‥。坊ちゃんが心配なのはいいとして、顔に出すようじゃ悪魔失格ですわね‥。
「ちょっと、お待ちなさいよ!!」
 やみくもに扉を開けて、外に飛び出していくレオン‥
「 うぎゃーーーーっっ!! 」
 と、すぐさま転がり込んで戻って来ましたわ!
「何事なのっ!!」
「瞳が、瞳が〜〜!」
 顔を手で覆い、床を転げ回るレオン。く‥苦しそうですわ‥。
「いいから、見せなさい!」
「えぐえぐ、何かが急に突き刺さってきたんですーーー!!」
 レオンに、一体、何が‥!?
 レオンの手をのけ、無理やり顔を覗き込むと‥。
「 きゃああああーーーー!! 」
 心臓に悪すぎますわ‥。
 レオンの瞳が針のように細く‥ まるで図鑑で見た人間界の猫の目のようになっていますの!
 それに、髪の毛も緑色に発光して‥!
「貴方も化け物だったのね!?」
「ひどいですクリス〜〜」
 やっと起きあがったレオンに鏡を見せると、ぎゃーーと悲鳴を上げて倒れてしまいましたわ。情けない。
「もう、ほんと馬鹿! 日よけも何もせずに、なんだって外に出ちゃうのよ!」
「クリスだって〜〜」
「私は、ちゃんと用意してるわよ!」
 この日の為に用意した、フリルが可愛い日傘。サングラスとやらもゲットしましたわ。人間界の通販はなかなか使えますものね‥。実は人間界の物で手に入らないものなんて、ほとんどないんですのよ。人間界に設けられた窓口を通す分、価格がバカ高いのが問題ですけど‥。
 あら、ロマノフもちゃんとサングラスは用意してるようね。
「ぐすん、慌ててたもんで、失念してたんですう‥」
 レオンもサングラスを引っぱり出してきましたわ。そうそう、それでいいの‥。
 それでは、いざ‥ 人間界へ‥。

       *

「なんですのーー! こんなの浴びたら死んでしまいますわ!!」
 これが太陽光‥。
 サングラスの隙間から見える世界は、激しく真っ白で‥。
 聞いてはおりましたが、ここまで凄まじいものとは‥。
 魔界とは比べものになりませんわ‥。日差しが段違いに厳しすぎますもの。
 それにしても、レオンの瞳‥。
 人間界の猫は周囲の明るさに合わせて、瞳の大きさが変わる‥。それは知っておりましたけど。悪魔も変わるなんて! そんな情報、どこにもありませんでしたわ。
 まあ、日除けナシで外に飛び出すような間抜けが、いなかったからかもしれませんけど‥。
 それにレオンの髪の色‥ 太陽の下だと黒に戻ってますわ。でも、光に透けた部分がときどき緑がかって見えて‥。
 ロマノフは‥ 銀髪のままですわね。でも、キラキラ輝いて不思議な感じ。
 ーー 私は‥?
 ああ、このサングラス邪魔ですわ!!
 隙間から覗き見なんて、やってられない!
 あら? 外しても、もう瞳がちかちかしませんわね‥。
 日傘は‥?
 う"‥。必要ですわ。なんだか、頬がちりちり痛い‥。
 ーー はっ! それより、私の瞳!
 鏡を見るのが恐ろしいですわ‥。でも、確かめないと落ち着きませんわ!!
 ーー ‥‥‥‥ 。
変わっていませんわね。面白くないというか、ほっとしたというか‥。
「ロマノフ。サングラス外して下さる?」
 ーー ひッ!!
 やっ‥やっぱり慣れませんわ。この方。
 でも、もともと恐ろしい分、変化してもインパクトは少ないですわね‥。
「クリスはサングラスなしで平気なんですか‥。私なんて眩しすぎて何も見えませんよ〜。ああ、でもさっきよりはずいぶんましかも‥。ロマノフさんも平気なんですねぇ‥」
 そう言えば、ロマノフ、サングラス外したまま‥
 ーー うっ!!
 ‥‥やせ我慢ですわね。それにしても、涙目も恐いですわ‥。
「あああああ〜。こんな危険な所で、坊ちゃんご無事でしょうか〜〜!」
 また始まった‥。レオン、空を仰いでるヒマがあったら、もっとちゃんと探しなさいな!
 まあ、今はロマノフが匂いを辿っているからいいとして‥。
 それにしても、どーゆー鼻してるのかしら、この男‥!
 ーー !!
「 しっ‥‥黙るのよ‥ 」
 つ‥ついに‥ 来ましたわ。
 前方から”人”ですわ。
 初めての人間との接触‥。いえ、ここは怪しまれぬよう、何気なさを装って行き過ぎなければ‥。
「 ‥‥‥‥‥‥ 」
 なんだか、やたら、じろじろ見られていませんこと、私達?
 ほら、間違いありませんわ! 振り返ってまで、見てますもの!
「貴方達! ちゃんと服装の考証してきたんでしょうね!!」
 外見は人間と大差ないはずですし、衣装が原因に違いありませんわ!
「その点は、大丈夫ですぅ‥!」
 あら、ほんとう。確かに、レオンが広げてみせる雑誌には、レオンと同じ黒革のぴったりした服装の方達が‥。それに皆さん髪型も色々。
 ‥意外ですわ。レオンの緑がかった長い髪も大して奇妙ではないんですのね。
「ロックバンド‥って何ですの?」
「人間界の音楽家の方達ですよ! クリスは何を参考に?」
「私はこれよ‥!」
 やはりマニュアル本は手放せませんわね‥。
「タカラヅカ‥? なんだか魔界の盛装と変わりませんねぇ‥」
「ええ。ドレスなら何種類も持っているし、替えの心配もありませんもの。ただ、背中に羽を付けてる方がいるでしょう? やっぱり、ないとダメかしら‥」
「重そうですよぉ‥」
「そーですのよ。‥‥ところでロマノフ、貴方は?」
 な‥。
 原因はロマノフですわ‥! 間違いありませんわっ!
 レオンも気付いたようですわね。目が釘付けになっていますもの。
「ロマノフっ、その靴、何ですのっ!?」
 布製ブーツの足先‥ 親指と人差し指の間がスッパリ割れていますわ‥。
 そ、それに、脛のあたりで大きく膨らんだズボン。どうして、裾をそんなに締め上げてるんですの‥!?
 上着は、ビロードの長めのコート。私の本にも載っているから、これは大丈夫だと思うけれど‥。
「それよ! きっとそれが怪しいんだわ!」
「クリスっ!?」
「何よレオン!」
 ‥‥信じられませんわ。レオンの示す方‥ 振り返った私の見たものは、ロマノフと同じクツにズボン。
 目の前の路地を、トラックとやらに乗った方達が通り過ぎて行きましたの。
 人間界では、皆さん、車の荷台に乗るんですのね‥。
 色々、驚くことが多いですわ。人間界は。
 後で知ったのですが、今お会いしたあの方達は、工事現場のおじさん‥という仕事の方達で。あの奇妙なクツは地下足袋。ズボンはニッカポッカという名前なんだそうですわ。
 皆様、もちろん知ってらっしゃいますよね?
「原因がわからないわね‥」
「あのぉ‥」
 おずおずとレオン。何か気が付いたらしいですわね? でも、どうして私を指差すんですの!!
「クリス‥、もしかすると日除けは一つでいいのでは?」
「何ですってっ!!」
「す、済みませんっ!!」
「きっと、そうですわ!」
 珍しく鋭いことを言うと思ったら、何、一人でコケているのかしら‥レオン?
 日傘とサングラス‥ 一つ選ぶなら、当然、日傘ですわ! サングラスなんて、かけ直す必要ありませんでしたわ。
「これで、一安心。でもまだまだ勉強不足ですわね! 時にロマノフ、坊ちゃまは?」
 なんだか、とても順調に歩き進んでいるけれど‥。
 って‥。ちょっと‥‥ここは。
「ローマーノーフーーーーっっ!!」
 お待ちなさいよっ!!
 どーして、家の前に戻ってるのよ!
 ぱたん‥ なんて、門閉じてる場合じゃありませんのよ!!
「何やってるのよ! 貴方はーーー!」
 ひっ! な、なによ、その瞳で睨まないでーーー!!
 キャー、いやー!!
「あの‥」
 柔らかい‥声?
「あ、あら、何でしょう‥? ほほ‥」
 なんてことかしら‥! 
 初めての人間との会話が、こんな間抜けなシチュエーションだなんて! ショックすぎますわ!
 でもいきなり話しかけてくるなんて。この人間、一体‥?
 分類は、若い女性‥。
 ぢょがくせい‥ それとも、主婦‥? ああ、わかりませんわ!
 でも、のんびりした騙しやすそうな雰囲気。
 人間に馴染む第一歩としては、まず手頃そうな獲物ですわ。
 せっかくのチャンスですもの、全力で虜(とりこ)して、人間界のことを色々聞き出さなくては‥!
「初めまして。私、隣の家の者で、佐々倉と申します。お宅のお坊ちゃんなんですけど、先程、遊びに来てくれて‥。今、お昼寝中で、こちらでお預かりしてるんです。それで、一応、ご報告にと思って‥」
「あああ坊ちゃん、良かった、ご無事で〜〜。ああ、有り難うございます。何とお礼を申し上げたらいいか‥。私ども、こちらへ辿り着いたばかりで、右も左もわかりませんので‥」
 いけますわ、レオン!
 腰の低すぎる悪魔なんて、存在する価値もないと思ってましたけど。
 今後、人間との折衝はレオンに任せてもいいですわね‥。
 わたくしも楽ですし‥。
 こうなると、使えませんのは、この男ですわ‥。
 ロマノフ‥!?
 なっ何やってるんですの! このバカ!
 ーー あ、いけない。またお下品な言葉を!
 じゃなくて! そんな場合じゃないんですのよー!
 せっかくの獲物にガン飛ばして、どうするんですの〜〜!!
 人間がそんなもの直視したら、凍結してしまうに決まってますわ!
 幸い、今はレオンが気を引いてますわ。
 さあロマノフ。貴方はとっとと、あっち向くのよーーー!!
 はあ‥ 重たい男ですわ。
「あ、こちらがクリス。向こうがロマノフですぅ‥」
「よ、よろしくお願い致しますわね!」
 ‥ぎりぎりセーフですわね。営業スマイル全開でいきますわ!
「よろしかったら、お茶でもおあがりになりませんか? ご迷惑でなければ‥」
 え‥?
「やっとお隣さんがいらしてくれて、嬉しいんです。ずっと空き家にしてらしたでしょ? 何かお手伝いすることがあればおっしゃって下さいね。お子さんも可愛らしくて‥。また遊びに来て下されば嬉しいわ‥」
 まあ‥ お隣さん。
 なかなかの響きですわ。
 それに‥
 人間界で生き残る為に押さえておかなければならない、重要事項のひとつ。
 ”ご近所付き合い‥”
 労せずして、クリアですわーー!
 面倒くさいだけのガキだと思ってましたけど。
 撤回しますわ。坊ちゃん。
 この調子で、ご近所一帯、制覇ですわーーー!!


 


    NEXT              EXIT